2024.7.12

最近の私は結構、いや、相当

気が楽になっている

憑き物が落ちたような感触

 

諦念

もう、自分を諦めた

 

と言っても、

絶望、とかのニュアンスではなく

 

今までずっとずっと、意地張ってさ、

私はまだまだやれる人間なんだなんて

どこかで意味のわからない驕りがあって、

プライドの岩石だったことに気づいた

 

もうさ、許してあげた

自分のこと許してあげられたよ

 

 

私は、そもそも大層な人間なんてガラじゃない

出来損ないで脳足りん

うん、それでいいじゃない、

なんで、『なんで?』なんて思ってたの?

 

って、やっっっと、感覚からも思えてる今

 

なんのキッカケなのか、わからないけど

 

自己肯定感というのは

こういうものなんだろうなと感じられてる

 

ダメなところ、嫌なところ

たくさん見えてて、

今までそこを隠すのにとにかく必死だった

私が一般的にいう礼儀知らずで世間知らずで

優しくなくて気の利かない、向上心もない、

ダメな人間であることが、

周りを、

主に親を悲しませる事だと思って、

それが悲しくて恥ずかしくて情けなくて、

申し訳なくて、毎日呪詛のように

囁いてた

 

けど、それって何の作業だったのか

素質じゃないことを咎めてさ、

罪悪感ばかり貯蓄して大富豪になって、

いや、アホだな

何もかもすっからかんにしたら、

無敵な気持ち

 

きっととても冷たい結末だろうね、

 

でもやっと、気が抜けてさ、

伸び伸び息ができてる感じがする

それが一番私には恵み

 

ダメ人間はダメ人間らしく生きることで

輝くこともきっとあるさ

 

本当にどうしたってダメだったよね、私

それなりに経てきたよね、私

 

私は私らしく、過ごしていいよ

 

憧れというか、模範な人間像には

なれなかったけど、

 

許せる人間にはなった

 

大収穫

 

『よく生きたいだけです』

そこにも憧れてるから、ずっと惹かれるんだけど、

きっと私の向いてる場所じゃなくて

適当〜にゆるゆる、その日を暮らしていくことに長けてるみたい

 

人は落ちぶれたと笑うだろうが、

私は結構どうでもいい事になってて、

それが、楽しい

 

開き直りともいえるし、

今の自分が好きとか嫌いとかもない状態だけど、

自分を常に戒めてターゲットにして居なくて

いい事が、楽で楽で仕方ない

 

ダメな部分にいちいち反抗しないで、

流されてく、風や水みたいにね、

 

今日この日を、何か感じとれて過ごせたなら、

それはきっと、何より幸せだな

 

ごめんね、こんな人間だったよ、私は

許さなくてもいいよ、

 

いつもごめんね、いつもありがとう

 

 

 

2024.7.7

フジファブリックが、無期限活動休止を発表した

 

まず、一ファンとして言えることは、

 

お疲れ様でした、

そして、

ありがとうございました

 

それに尽きる

 

 

私は、フジファブリックと言うバンドの存在を知った当時、

バンド自体の存在ももちろんのことだが、

真っ先に、フロントマンである

志村正彦という人間に、

ものすごい引力で惹かれた

 

彼の持つ、独特な『何か』は、

いまだに彼の映像を見ると惹きつけられる

 

決して、

歌が抜群に上手いと言うわけではない

のに、

歌声の中に潜むものや

佇まいから溢れ出るもの

楽曲の圧倒的斬新さ、オリジナルさ

 

誰にも真似できない『何か』が

ギュッと詰まっていて

一撃で、心が落ちた

 

『天才』

咄嗟にそれしか言葉が出なかった事を思い出す

 

そんな彼が、この世から早々に、

旅立ってしまったあの日

 

とても衝撃的で、でも反面、

とても冷静だった

どこか、わかるような気にもなってしまった

 

きっと、彼のように

物事の本質を見てきた人間にとって、

この世はあまりにも

 

 

 

そんな妄想は、今もずっと、

片隅に居座っている

 

フジファブリックは、その時に

終わった

 

失礼ながら、それが当然の結末だと

思っていた

 

身近で、あのような

圧倒的存在感を目の当たりにしていたら

 

 

しかし、フジファブリック

継続する道を選択した

 

私は正直、志村正彦がこの世を去ったこと

以上に、衝撃を受けたかもしれない

 

そして、何様の如しに、

心配をしたものだった

 

あれほどの異才を放つフロントマンを失っては、

それは果たして、

フジファブリック】、として

機能していけるのだろうか、

 

継続メンバーは、

志村正彦を想うがゆえに、

志村正彦によって

苦しめられる時が来るのではないか

 

憧れて、敬愛してやまない彼自身が

彼らをゆるゆると苦しめる

「真綿」になり得るのではないかと

 

それでも、走り続けることを選んだのには

叶えたい、野心があったのだろう

それは、自分本意のものではなく

フジファブリック】としての、

志村正彦共々、やり残したことがないように

成し得たい何か

 

修羅の道に行った、と思った

 

フジファブリックの現メンバー、

山内、金澤、加藤においては、

本日に至るまでの日々は

志村正彦氏の面影と幻影を、

手探りして、絶対に答えは出ない

そうだろう?そうだろうか、

そんな、

果てしない艱難の日々だったのでは

ないだろか

 

【天才の後釜】

そう言うと、志村亡き後の

フジファブリックにてファンになった方が

いい気がしないのは重々理解する

 

しかし、

思う以上に、フジファブリックというものの

中心には、

志村正彦氏の存在が居続けるものである事が、

バンドとしての継続を選んだ大前提である

と言えると、私は思う

 

だからこそ、

彼らも、やりきった、という

 

志村正彦が遺していった、

すべてのものを昇華したと、

実感をもてていて、また、

志村正彦が、これからのバンド内に

居なくなったと

そう感じたのだろう

 

そう思った時こそが、

フジファブリックとしての引き際だと、

納得の境地他ならない

 

本当に、本当に

よく走り続けた

 

フジファブリック

奏で続けてくれて、ありがとう

 

 

------------

 

 

さて、今回はこの出来事によって、

私はまざまざと感じてしまった事がある

 

 

音楽を生み出すバンド

という形態は

『自分達だけのもの』でなくなる時が

どうしてだか、必ずきてしまう

 

自分たちで始め、選んで、進んできた道

 

いつしか

 

自分の人生だったはずのものが、

誰かの人生にもなっているということ

 

素敵だな、と思う反面、

とても恐ろしいものだな、と思った

 

このような時に、

ファンの人たちを否定するつもりは

サラサラなかったが、

正直、一部の人たちの阿鼻叫喚を見ては、

悲しくなった

腹が立つくらいには、私も

フジファブリックが好きだ

 

私たちリスナーは、

忘れてはならない事があると考える

 

バンドを行っているのは

彼らバンドマンの人生の選択であって

ファンはそこのステージには立っていない、

という、ボーダーを持つ事だ

 

あくまで、私たちは、各々に生活を持つ

『お互い様』でいないと、

双方を潰しあう関係にすらなる

そういう絶妙なバランスの上で

成り立ってる

 

彼らから、喜びだったり、楽しさだったり

それ以上のものをもらってきた

ファンだからこそ、

救ってもらった人を縛る

重荷や足枷に成り下がってほしくないと、

祈らずにはいられない

 

もしも、

阿鼻叫喚、悲しい、なぜ、裏切り、

自分は、この先どうしたらいいの、

などが、

彼らを思う愛であるというのならば

私はそんなもの要らないな

と思ってしまった

 

 

それぞれ、人生があって

だからこそ、共感ができて

共鳴し合える関係

 

依存してしまえば、

一変、

ただの宗教に成り下がる

 

もちろん、

悲しいと伝えることは

必要とされてたと言う意味では、

喜びにはなるだろうが

 

心の欲望を吐き出して、

相手の苦しみを増やすところで、

誰が報われて、

何の意味があるのだろうか

 

 

 

とはいえ、これは、

自分への戒めでもある。

 

人間は何かのタイミングで突如として

依存的になったり

自分と同じ一人の人間を神格化しては、

その人を通り越すように

勝手に像を作り出してしまったり、

その結果、

それぞれの『宗派』で争ったり

 

遠い国での宗教戦争

今も各地で終わらないのも、

似たような原理だ

 

真実なんてものは、

始めた人の中にしかないものなのに

 

つまり人間とは、

そういう隙がある生き物なんだと思う

 

依存し、

誰かの人生さえも私物化する

 

その人の人生は、あくまでその人のものだ

あなたの人生もあなたのものだし、

私の人生も、私のものだ

 

 

襟を正すキッカケに思う

 

 

どうかこの先の彼らの人生が、

誰のものでもなく、

彼ららしくありますように

ここからが出発点、

また新たに、

自分たちのためだけに描いた旅路、

たくさんのご多幸への出会いがあらんことを

 

本当に、お疲れさまでした

心からの感謝を

そしてどうか、ありのままで、

元気でいて下さい

 

そうそう、

今日、これを書いてる日は

ちょうど、七夕だったんだよ

届くといいな

 

また、気が向いたら

いつかどこかで

お会いましょうね

 

 

 

2024.7.1

久しぶりに、かつての犬と散歩した道を歩いた

 

一人で歩く道は、とても静かで、

木々の香りや動きや、

鳥のさえずり、

土砂利が規則的に鳴る音が、

記憶よりも、なんだか大きく聞こえた

 

雨上がりで、風が少し強かった

揺れた隙間から、木漏れ日

緑が鮮やかに照らされていた

 

懐かしいなぁ

そう、思えた

 

あの頃、一緒に歩いた道は

何にも変わってなくて

 

そこに一人歩くこの瞬間にこそ、

 

たしかに、あの子たちが居たことを

ありありと、色濃く感じさせた

 

あ〜、

とっても心底に幸せな日々だったなぁ〜、

 

それを感じられる今もまた

幸せだなぁ、と思う

 

今はそんな孤独によって、

とても満たされている

 

『寂しくなんかなかったよ

ちゃんと寂しくなれたから』

 

そんな曲の歌詞に、実感で共感している

 

存在があったことの確かさ

それを感じられる瞬間の尊さを

何と言おうか

 

いつでもいつまでも

私の中に

 

2024.6.28

世の中でよく使われる、

【嫌われる勇気】

って、なんかずっとモヤモヤしてる

 

嫌われたくないって、あまり思った事ないな

でもやってることは、嫌われたら困るって

ことなんじゃないの?と問われると

わからんでいる

 

嫌われるのは大した事ない

どっちかというと、むしろ

ホッとする時がある

 

じゃあ動揺するのは何かを考えたら、

やっぱり相手を無意識に傷つけている事への

罪深さみたいなものが押し寄せて

耐えられなくなるから、だと思う

 

その瞬間、私は犯罪者さながらだ

 

だからさ、

【嫌われる勇気】、

というより、

【傷つける覚悟】、

なんじゃないの、って思う

 

皆、嫌われたら何が困るんだろ?

困る事ある?

 

『そんな事言ってたら、生きていけないよ』

 

そう言われる

そう言われるとそうかもしれない

 

けど、そうまでして勝ち残り生き延びたい

とも思えないし、

 

だからといって、ほんとに些細なこと、

ひょんな事で、

誰かの心に、グサっを味わわせてるのは

きっと事実としてあるわけで

 

あーあ、難しい

一人は気楽で最高だ

 

って、思ってしまう日々

2024.6.26 くるり/青森クォーター

くるりのライブに行った

 

もうすぐ7月だというのに肌寒く服選びに悩む

結局、薄手の長袖を3枚重ねてみた

ちょうどよかった

 

仕事の都合で、開演ギリギリになんとか

間に合った

 

びっしりの青森クォーター、いつぶりだろうか

男性の姿が目立つ

 

私は定位置、ドリンク受け渡しカウンターの前

ここが一番、全体を見渡せて、音のバランスもしかと味わえて好きだ

 

 

ふらっと、自然にくるりが出てきて、

演奏が始まる

 

音を聴いたその瞬間、なんだろう、

いい知らない安堵感に包まれた

ボロボロ涙が止まらない

 

決して、非日常ではない、

限りなく日常の光景、の感触を鮮明に受ける

音、楽曲達

 

素朴で、逞しくて、懐かしくて、

温かくて、美しい

 

くるりの作り出す空間、それは大きな愛そのもののようだ、と思えた

 

【愛の日常の讃歌】、

咄嗟に自らポストした言葉が的を射ている、

と我ながら思う

 

心配しなくても、

私達の生活というものは、

愛と尊さと奇跡に包まれて続いている、

そう言うものだよ、そんな何かが伝わった

 

今回、『愛の太陽』、これがたまらなく刺さった

 

くるりの音楽は、

お父さんのようだと思う

 

言っても抽象的な

イメージのものだし、

現代こんな言い方をすると

きっと語弊があるかもしれないけど、

 

 

どっしりとした、大きな背中を

見るかのような

 

なんとなくのお見通し、

多くは語らずとも、

安心して生きていなさい、というような、

 

ただただホッとした

無条件に、雑念も斜めも何もなく、

 

近頃では、誰かに甘えることも、

もちろん親に甘えることも無く、

しっかりしなきゃ、を繰り返す日々だけど、

 

この、およそ2時間は、

すっかり甘えて過ごしていた

 

幸せだった

きっと無意識のうちに枯渇してたんだろう部分に気付かされたし、

守られて、満たしてくれました 

 

海のようで、大地のようで、空のようで

 

 

改めて、

いつだって私は幸せで、恵まれていて、

愛情に包まれてることへ、

 

限りない感謝と、

同じだけの懺悔をした

 

その後、温泉に入り帰り道、

夜風はひんやりしていたけど、

なんだかとても柔らかくて

身と心の温度に程よかった

 

いつもより、長く歩いてから帰った

2024.6.25

いつのまにか人と会話をするときに

『どの自分が一番相応しいか』ということを

無意識にチョイスして生きてきていると思う。

 

それは癖だから、掘り下げる事は難しいけど、

相手に対して、

自分なりのマナーだとどこかで思ってきた

 

誰かとの過ごす時間は

穏やかであればそれでいい

それ以外は要らない

 

一見、温いこと思ってるようだけど、

どっちかと言うとそうじゃなくて、

 

人は思ってるほど、他人のことに

興味がない

と思っているほうが近いのかもしれない

 

それは悪いということではなく

どちらかというと『正しい事実』という認識

 

『自分はこう思った』、

を特定のその人に直接言うのに、

なんの意味があるんだろう、と

後々思ってしまうタイプだし

大体は言わなきゃよかったって後悔している 

 

基本的にこうして冷めている

人に対しても、

自分に対しても、

 

だからなんとなく、ノリで

こなしてしまおうとする

 

なんとなく、の距離感は好きだ

核心部分に直球で接近するのではなく、

なんとなく感じる距離は心地いい

 

掴もうとも掴まれたいとも思ったことがない

ほっといてほしい時が多い

だけど会いたくなる時もある

たまに近況で、会うくらいがいい

 

そんな気まぐれを許されるのは

猫くらいなものだろうか

 

人の数だけ自分が存在すると思ってきた

その点がすごく、サイコパス思考らしい

 

でも、人の感受性は人それぞれなのだから、

何通りも自分がいる方が

自然ではないのかな

 

などと思っているから、

本質の自分もわからないし

知りたいとも思えない

 

とにかくあらゆる場面で、

『確定』という名の枠に囲われることに、

息苦しさを感じてしまう

 

掴めなくて不気味、と言われるか

居心地がいい、と言われるか

その点も両極端の感想がきて、面白い

 

そう、人と過ごすのは面白い

いろんな刺激が心拍そのものになる

 

まだ、人と居ると疲れられる

大事な人と居ても、疲れる。勝手に。

人と居て、疲れない方法が、わからない。

 

楽しくて尊いのに、1人の時間を欲する。

それはまだ、自分が残っているからと

いうことなんだろうか

 

例えば、自己分析って必ず飽きてしまう

義務のようにテキストを開く作業に似てる

 

どちらかというと、そういうことより、

好きなことを好きなだけ好きなテンポで

好きなタイミングでをやれる空間がほしくて、

一人で居たいと思っている

 

自分とは何者ってエッセンスは、

何処で必要なんだろうって思うけど、

『大人』になったら、持たなければ

ならないことだともわかる

 

それに気付いてしまってから、

私は何か崩れた部分がある

 

好きなものだけでいいのにな

 

こうやって裸で居られる瞬間は

一人の時しかなくて、

音楽を聴いてる時は、特に大きい

 

音楽と過ごす時間が、特に心地いい。

孤独と孤独でいられる距離感が好き

厨二みたいな言葉は続くけど、

音楽みたいな人だったらいい

 

思えば、人との距離を、大体、

それで測ってるのかもしれない。

 

どんな音楽聴いてるの? 

それで大体、その人の感受部分が、

わかるような気になっている。

言葉にすると抽象的すぎて何の根拠もない。

 

けど、音楽って、それぞれの人の心の

絶対踏み入ることができない密なところに

棲みつくものだろう

 

人を知る上での、

絶対的な手応えと信頼だったり、

手段、になると思っている。

 

音楽は想像する以上に、

心や、アイデンティティ

 

『本当の私に還る』、というのなら

きっと、その場しかないし

人間と関わる生活をギリギリやれてるのも

右に同じ

 

世界で一番ピュアなものだと思っている

そこで通じるものもピュアだと信じている

 

どうか汚れませんように、その世界が、

と、切に願っている

 

曲を生み出して、発信してくれている

全てのアーティストに、心から感謝しています

 

同時に、

人との関わりのツールにしてしまっている

邪さに対する懺悔も含めて

 

なんとなくちょっと寒いログ

夏の始まりには、ちょうどいいだろうかなんて

 

 

 

2024.6.21

なにかこう、どうしても

堅苦しいというか、ロジカル的?な書き方をしてしまうから

かっこつけが抜けないのかな

 

なにかこう、フィーリング的な

ポジティブな瞬間を書きたいと思ってるんだけどな

 

今日、うちの庭のタンポポが綿毛になった

いつのまに住んだんだろ、

夕方にはちゃんと眠るんだよ

 

そういうことを書きとめてみたいよなぁ

 

ログを残したい時はきまって

悶々した時だから、そこの矯正もしたい

 

私の持ち味は

軽さだ、だった

今まで悩みみたいなものだったけど

適当っていいよな〜て、

 

昔の自分に今憧れてるな

そういう意味では戻りたいなぁ

 

そうそう、今日花火が上がりました

夏だなぁ、

去年も暑さにうだった気もするけど

案外忘れちゃってるんよな

 

それもコンプレックス?罪悪感?だった

忘れっぽいこと

 

でもいいよ、毎回新鮮だもん

フレッシュな日々、いいね