YAJICO GIRLというバンドについての個人的感想

唐突ですが、

私は好きなバンドができることが稀です。


というと語弊もありますが、

好きなバンド…

所謂、沼まで落ちたと表される存在です。


これができると、困った事に、

とことん掘り下げて、なおかつ

語りたがってしまう節があります。


暑苦しいファン代表の典型

といったところでしょうか。実に悲しい癖、、


なので、音楽をただただ楽しみたいから、

あまり人には足を突っ込まないようにしている、

し、

それで成立していたここ数年だった、

とも言えます。

 

ーーーーーーーーーーーー


そんな私ですがこの度、

ひょんなことからヤジコガールの楽曲に触れて、

あれよあれよといつの間にか毎日のように

聴く存在になりました。


そして、あれよあれよと

この楽曲を生み出した人達が、

どうにもこうにも気になってしまい、


あれよあれよと情報を集め…落ちました


あー、また、暑苦しいものが生まれてしまう…

自分の恐ろしい面みたいなものが

また蓋を開けてしまうのか…という思いが

そこはかとなく浮かび、怖い…逃げようか…


と思ったところで

動き出した興味は逃げ去ってくれず


案の定、ヤジコガールに関しての

くどくどしい、周りくどい、

大袈裟な称賛の言葉がブワー〜っと

まとまりなく脳内に生まれ出てきたわけですが、


はてさて不思議と、

それらをうまいことまとめて言語化できない。

なぜだろう、不思議で仕方ない。


なんというか、

いざかしこまってざっくり書いたのを読み返すと、

ちょっと恥ずかしい、し、果てしなくキモい…笑

ガチで色々書いてる自分が。


今までそんなことをあまり考えずに

ツラツラ書いてきたじゃないか…(趣味で)


発信すると

反応してくれたりするからだろうか…?

チキンにもほどだ、だとか

衰えなんだろか…だとか、

何者でもない自分を蔑んだりして笑


でも、この度

ヤジヤジしようぜ7.5に参加できて、

腑に落ちたところがあります。


もはや様々な人が、同じような

発信をしているように、

ヤジコガールという存在は、

楽曲や佇まい全てにおいて、

あまりにも日常であり、生活に馴染みます


極めてナチュラル。


日常を大袈裟に描きすぎることもなく、

淡々とその尊さを忠実に表現してる

と言えると思います。


朝になった、夜になった

くらい、自然で馴染む感覚

そこに、適度にオシャレな存在感も備わっている


それに対して、考察という名の

極端なロジカル言語を施すことも、

もはや野暮ったいんだな、と思えたんです。


朝だよ!!!夜だよ!!!

なんていちいちオオゴトに言う日常なんて

ないですよね笑

 

そう、私はそれをしようとしてたんです。

違和感極まれりで、めちゃくちゃに恥ずかしい笑


なので思いました。


毎日、日々をドラマチックに

壮大に過ごしているかっていったら

きっと、そうではない。


けど、

なんとなく、あ、なんか今の美しいな〜とか、

今日の風の匂いはちょっと春らしいな〜、だとか、

あの子に会えて嬉しくてつい、食べすぎちゃったな〜、だとか


さりげなく、ふと思う素敵さみたいなものが

日々の中にはあって、


ヤジコガールってそういう事を歌っている。


ということは、彼らに惹かれる人達もまた、

日々の中にある、そんなちょっとした尊さを

言わずもがな、知っているっていうこと


もはや、それだけでいいし…

というより、それが何よりも

素晴らしいことなんだって思えました。


アートブックの

四方さんのエッセイにもありましたが、

『あなたはそれを知ってるんだ』

ていう、まさに、ふんわりした確信、それです。


そういう人達が集まってるって

確信して思える場でした。ヤジヤジ7.5。


それが全ての答えであり、

それ以外って何にもいらないと感じれたんです。

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 


ヤジコガールは日常讃歌が好みな私にとっては、

まさにドンピシャなバンド。


かつて沼ったバンドたちもそうで、


日常の尊さや

自己や他者対面によるもどかしさ、

生きづらさ、

生き方、


みたいなものを歌っているものばかりだった。


だけど、ヤジコにはそれに加えて、

妙な新鮮さもある。

ずばりそれは、絶妙なゆるさ、と思う。


本人たちも、力を入れすぎないよう意識している

というようなものをインタビューで読んだので、

まさに匙加減が、巧みだと思う。


暑苦しくなく、かと言って、引きすぎない


まぁ、しのごの言わなくたって、

色々感じて

そうやって皆それぞれの日々を送っていて、

悩んだり、楽しかったり、

色んなものを思っていることはそうだよね。


ていう、そういう、ふわっとした、

大きな肯定感で抱擁されているような心地になる。


で、そういうのを感じ取った人達が集って、

今日は、一緒に踊ろうね、って、誘ってくれる

そんな場がヤジコのライブのように思う。


わかるよ〜、というと軽いかもしれんけど、

ほんとその、わかるよ〜、という

誰でも営んでる日々があるからこそ

共有できる場所へのアプローチは、


身近にあるから簡単なようで、

それゆえに、

常にそのものに対しての意識を持っていないと

取りこぼしがちなものだから、

なかなか出せたものじゃないと思う。


それを成立させている事がもはや素敵。


また、意識してやってるにしても、

リスナーはこぞって

同ポイントを感じ取っているのって、

凄すぎないだろうかとも感動している。


きっと、その想いの純度の高さだろうと。

素直、ピュア

これは人柄がもてる技としか言えない気がしてる。


(それでいうと、ヤジヤジ7.5の際の

 芦沢ムネトさんの感想の表現が、

 素晴らしく的確で、まさに同じ感覚だったのが

 非常に感動した!!

 短い文にギュッと想い詰め込められるの

 すごすぎる…

 ヤジヤジ7.5、DVDかアーカイブ切望します!)

 

そもそも、彼らが話してる姿勢も心地良すぎる。


バンドの変革期をむかえた時に、

四方さんはエゴだと言ってましたが、

そこから離れずにいたメンバーの姿勢、

これが非常にでかい。でかすぎる。


たしかにエゴといったらそう、

ガラッと独自で変えたわけだから。


けど例えば、ベースの武志さんにおいては、

当初は、何がいいかわからん、と

ブラックミュージック系音楽を感じていたのに、

最終的には、

良いと思えてきた、好きなところ、

自分の好きなアーティストを見つけた、という。


それにより、エゴであるという内容ですら、

今や、そう呼ばないものに昇華している。


受け取って噛んで味わい飲み込む…

そしてオリジナリティを生み出す


この、受容と適応能力というのだろうか。

全てを否定せずに

新しい世界を受け入れる能力、柔軟性、

メンバー全員に共通するその能力が、

ヤジコガールは抜群すぎる。


優しい…という言葉で済むのだろうか…

洗い上がりのふわふわであったかい

タオルケットみたい

タオルケット集団(?)


そんな発言からも、メンバーが心底、

フロントマンである四方さんの根底やセンスを

信頼してることが随所で垣間見えます。


そしてそれぞれ、めっちゃお互いを褒める姿。

これがとても素敵だと毎回感じる。

しっかり人の話を聞く姿勢と、

良いところを良いと素直に言えること。

 

ふざけてる時のいじりは、

ふざけてるってわかるし、

真剣な時は皆真剣に。

 

聴いてて、これがとても心地がいい。

なんの疑念もなく、ほっこりする。


緩急、メリハリ、そのフィーリングの良さは

高校からの同級生だから…かもしれないけど、

ということだけでもないと思う。


きっと、大切にしてる部分が

一緒なんだろうなと。

日々、生活、人、それぞれのセンスや、

価値観なんかを、

皆、とても大切に思ってることが共通してる

ってことなんだろうなと思ってる。


つまり

 

皆、いい子…!!!

 

そういうシンプルな総括になってしまうのもまた

小難しい文章が書けないんだと思った笑


どうしたらこんな

素直で優しくて温い子たちになるんだろ。

感動が止まらないよ。

人間捨てたもんじゃないって思うんだよ(急に闇)


そしてライブ、ライブが本当にいい。

無条件で踊りたくなる。


踊んなきゃ!とか、

のらなきゃ!とか、

のるぞ!!!とか、


ちょっとしたプレッシャーみたいなものが

他アーティストでは混在しているが

(捉え方は人それぞれだけど)

そんなの一切ない。


いつのまにか勝手に踊ってる、誘われてる。


ライブ中のあの自然な一体感と、

多幸感は、いったいなんなんだろ。


人となんとなく分かり合ってるような空気感とは

思ってる以上に幸せなものなのだ、

ということなのかもしれない。


人生って思わず考えすぎて、

こうでなきゃならないだとか、

こうあるべきだったかなとか、

柵の上にある暮らしもあって、

理詰めしなきゃいけない、タイミングも多い。


けど、ガチガチに詰めたところで

答えはすぐ見つかるものじゃないし

答えなんてあるのかもわからないし

なんのためにやってるんだっけとか


そうして曖昧なまま右往左往、

彷徨って生きてきている中で、

内容を野暮に突き詰めなくとも、

なんとなく、ふわっと、

大きな肯定性を感じさせてくれることには、

とてつもない安らぎと救いがあるんだ、

という事を、

再確認させてくれたような気がする。


全てのことがあって今がある

いいときも、ダメな時も、

悲しいことも、嬉しいことも

 

そういう日常をまるっと讃歌したい

そんな空間の共有は、そう多くはない


ヤジコガールはそんな場をつくりだしてくれる

唯一無二のバンド、だと私は感じています。


とてもありがたい。大感謝。

出会えたことがとっても嬉しい。

 

ぜひ、どこか懐かしくも新鮮であるライブを

一人でも多くに味わってほしい


ただいまとも、おかえりとも、

行ってきますとも思える、空間


一人でも多くの人にヤジコガールの持つ

世界観を味わってほしい


なんて、柄にもなくいつのまにか

知らない誰かに対しても、

そんなことを願っている自分に驚くのでした。

 

ピュアな前では、素直になれて

浄化される原理ですね。

 

音楽と心底楽しそうにしてるメンバーの姿が

たまらなく大好きで、癒されています。

 

感想書いてるこの最中ですら

またライブに行きたくて踊りたくて

たまらんです。


ーーーーーーーーーーーーー


最後に、もう一つ不思議に思うポイント。


もしご本人さん達が見てくれたりなんてのが

あったら、いい気はしないかもですが、


神!拝!!


みたいに崇め奉る感覚にはなれないところが、

すっごくいいです。笑


沼化って、

結局はそのアーティストをどこか

神格化しちゃってるところが、

私の中では起こりがちで、

宗教みたいになってやしないかって、

毎回怖いし、居心地悪くなっちゃうんですが、


ヤジコにはそれがないです。


本当すごいなって感動で涙出るし、

ライブも許されるなら全部行きたいし、

皆かわいい!話すの緊張!っていう、

典型的なザ・大好きファンになるんだけど、


拝む、とかではないんです。


INCのアートブックとか大好きすぎて、

毎回泣いてるレベルだとしても、


神からの一言、とかではないんです。

そこも馴染んでいる、という事なんでしょうか。


ご本人たちがめっちゃ人間らしくて、

生活の個々感が確立されてるからなのか、

お互い様感?があるからなのか


なんかそんな感じのとこも

めちゃくちゃホッとして、好きなところです。


そう考えると、

私にとって、かなり新鮮なバンドです。

新しい景色をありがとう、ヤジコガール

と、心から言いたいです。